私が三井海洋開発を選んだ理由
私が旧三井海洋開発に入社したのは1971年、それからもう30年以上が経ちました。旧三井海洋開発の倒産から株式会社モデックを経て、現在の三井海洋開発に至るわけですが、今振り返ってみると、大学を卒業して三井海洋開発に入社しようと下した決断は正解だったと思います。
会社を決める基準は人によって様々です。私の場合は「大企業で働いても楽しくないだろう」と思い、大きすぎる組織でないことや、夢のある仕事をしていそうな会社であることを基準に三井海洋開発を選びました。
私は工学部出身ですので、入社してからしばらくはエンジニアとして沖縄海洋博のアクアポリスや掘削リグの建設などに携わりました。1985年に受注したMarathon社向けの案件が、三井海洋開発(MODEC)にとって初めてのFPSOプロジェクトです。私はこのMarathonプロジェクトのプロジェクトマネジャーとして、顧客との交渉や造船所・下請け業者との調整にあたりました。当時、FPSOはまだ信頼性の充分確立していない新しい技術でしたが、現在では浮体式の石油・ガス生産設備の分野で最も幅広く使用される設備となり、三井海洋開発はFPSOの業界で世界第2位のシェアを占めるまでに成長しました。
これまですべてが順風満帆だったわけではありません。旧三井海洋開発が倒産した時は、オフィスが神楽坂にあるコンビニの2階に移り惨めな気分を味わいました。「自分の選択は本当に正しかったのだろうか」と自問することもありましたが、それでもこの会社を辞めなかったのは、FPSOの事業に強い将来性を感じたからですし、素晴らしい仲間に恵まれたからでもあります。どんなに優れた技術力や人材が揃っていたとしても、きちんと利益を生み出さなければ会社は駄目になるんだと、この倒産の経験を通じて痛感しました。

