
分かった気になることが終わりの始まりだと思うので、気を緩めることなく堅忍不抜の精神で精進していきます。
中島 祐次
パラアスリート
2024年12月入社
パラアスリート採用
一般社団法人日本ろう野球協会 日本代表
東京アスレチックス、葛飾区聴力障害者野球部 所属
東京都出身 東京都在住
1986年4月9日生まれ
これまでのキャリア
2021 | 東京アスレチックス:選手兼監督
日本ろう野球代表:選手兼コーチ |
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2022 | 東京アスレチックス:選手兼監督
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2023 | 東京アスレチックス:選手兼監督
日本ろう野球代表:選手兼コーチ |
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2024 | 東京アスレチックス所:選手兼監督
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MODECを選んだ理由 斬新な視点
私は子どものころから野球一筋で、一時はプロを目指していました。その道を断念し、目標を社会人野球に切り替えたときは、事務職として勤務しながら野球を続けていました。その後、前職である医療関係の企業にパラアスリート社員として採用され、約5年間、再び競技(野球)に専念していました。MODECは、パラアスリート社員として所属する2社目の会社となります。
現在、日本ろう野球代表をはじめ複数のチームでプレーしていますが、30代前半からは選手兼指導者としての機会が増え、チームを牽引する立場になりつつあります。
その中で、パラアスリートが、後にその経験を生かして指導者として雇用される仕組みが少ないことに疑問を感じていました。健常者の世界では、選手として活躍した後も指導者として雇用され、競技に専念しながら生活している人を多く見てきました。パラアスリートも同じように立派なキャリアを積んでいるはずですが、選手兼指導者として、または現役引退後にパラスポーツ指導者として活躍できる環境が十分に整っていない現状に課題を感じていました。
そのような中で出会ったのがMODECでした。面接の場で、選手兼指導者というテーマについて深く話し合う機会がありました。人事担当者からは、パラアスリートの後進育成に対する理解や、パラスポーツ指導者の支援(雇用)に対する前向きな姿勢を聞くことができました。驚くと同時に、自分が感じていた課題や理想がMODECの方針と重なることに気づきました。MODECでなら、私が思い描いていた道を実現できると確信し、入社を決めました。

私の経歴 飽くなきチャレンジ精神
私は生後間もないころから、聴力が少しずつ低下し、音が聞こえなくなりました。音の代わりに目で得た情報で生活しています。実は両親、兄共にろう者のデフファミリーです。ろう者として生きていくあらゆる術は両親から教わり、子供のころはろう者、健常者ということをあまり意識せず過ごしていました。
ある日、普段あまり行かない公園で野球を楽しむ子どもたちを見かけた私は、身振り手振りで「俺も混ぜて!」と声をかけました。その瞬間から、私の野球人生が始まりました。小学2年生でチームに入り、週末はグラウンドで走り回る日々を過ごしました。
祖父と父が元高校球児だったことも、野球の道を歩む後押しになりました。家族や仲間、指導者たちの支えのおかげで、中学硬式野球、高校野球、大学野球、社会人野球、そして日本やアメリカの独立リーグと、さまざまな舞台でプレーする機会を得ました。この道中では、優勝、全国大会出場やNPBからドラフトの話が来るという喜びがありました。厳しい現実、悔しい思い、怪我による長期離脱、数々の犠牲も経験をしましたが、それでも、家族や野球を通じて出会った人たちへの感謝の気持ちでいっぱいです。
次に、パラアスリートの道に進むきっかけとなったのは、兄の存在でした。 兄もまたパラアスリート(サッカー、ゴルフ)で、「これまでのキャリアを無駄にするな」と背中を押してくれました。
しかし、それは簡単な道ではありませんでした。 現実的に多くの企業がパラアスリート社員として積極採用するのは、デフリンピック(聴覚障害のある選手のオリンピック)やパラリンピックの種目に出場する選手になる傾向があります。残念ながら野球はデフリンピックやパラリンピックの競技種目ではなく、野球選手がパラアスリート社員として採用される前例がありませんでした。この状況は私にとって不利でしたが、「前例がないなら自分で作ればいい」という信念を持ち、新たな挑戦を決意しました。
- 1積極的にアクションを起こす。
- 2アクションを起こせば何か得るものがある。
- 3得たものが選択肢を広げる。
- 4選択肢が広がることで冷静に前進できる。
- 5前進することで変化が生まれる。
これを繰り返す中で、行動一つひとつに意味があることを実感しました。 結果的に、内定を得るまで時間がかかりましたが、パラアスリート社員として採用され、野球選手としての第2の人生をスタートさせることができました。その際、「挑む勇気がなければ、環境は変わらない」ということを改めて実感しました。 その後、少しずつですが野球選手をパラアスリート社員として採用する企業が増えてきたことに、挑戦して良かったと感じています。 人生において、行動力がいかに重要かを痛感しています。


印象に残る経験 まだまだ続く道のり
これまでさまざまな舞台でプレーする機会をいただきましたが、日本ろう野球代表(選手兼コーチ)に初めて選出されたのは2020年のことでした。 その時期は、世界的なコロナ感染拡大の影響で世界大会をなかなか開催できず、さまざまな困難がありました。しかし、「これは何かの試練だ」と自分に言い聞かせ、実現できる日を信じて、できる限りの準備を続けてきました。
2022年には韓国での社会人ろう野球大会に日本ろう野球代表が招待されましたが、残念ながら私はコロナ感染により出場を辞退することになりました。日本ろう代表は無敗で優勝という結果を残しましたが、参加できなかった悔しさは今でも心に残っています。
そして、ようやく2024年、台湾で第1回世界ろう野球大会が開催され、私も選手兼コーチとして出場することができました。約4年の準備期間の中では監督とともに常に不安を抱えてきましたので、励まし合いながら大会に臨みました。 事前に参加国のデータや情報がほとんどない中、監督と相談しながら試合を偵察したり、動画で分析したり、試合中にも相手チームの特徴や癖を把握し、限られた中で得た情報をチーム全体で共有し続けました。こうした準備や対応力は、これまで私が野球を通じて学び、素晴らしい指導者たちから教わったおかげだと感謝しています。
この大会では、かつて投手としてプレーしていた私が、野手として国際大会に出場する初めての経験でもありました。アメリカでのプレー経験が活きた部分も多く、国際大会特有のテンポや角度の高さ、回転軸の独特な球に対応しながら、自分らしいプレーを心がけました。 特に、球がまるで生き物のように動く感覚は新鮮で、楽しさすら感じることができました。
結果は無敗で世界一となり、その喜びはもちろん大きいですが、それ以上に、それまでの4年間、不安とともに戦い続けてきた自分がようやく吹っ切れたという感覚が強く残っています。 この大会を通して、仲間とともに同じ目標に向かって信念を貫き、逆境に負けず突き進むことの大切さを改めて実感しました。
2026年には、第2回世界ろう野球大会が日本で開催される予定です。引き続き代表に選出されることを目指し、さらなる努力を続けていきます。次回はどんな景色が見られるのか、さまざまな期待とともに新たな挑戦を楽しみにしています。
第1回世界ろう野球大会 結果(一般社団法人日本ろう野球協会ウェブサイト)
【ご報告】第1回世界ろう野球大会 優勝(一般社団法人日本ろう野球協会ウェブサイト)




日本ろう野球代表の試合にて
座右の銘 人事を尽くして天命を待つ
ずっと野球人生を歩んできて感じるのは、楽しい時期は思ったほど長く続かず、むしろ苦しい時期のほうが圧倒的に長いということです。 結局、自分自身との戦いに打ち勝つしかありません。
私の祖父は高卒後、某企業に入社し、最終的に重要な役職に就くほどの努力家で、私が心から尊敬する人物です。そんな祖父がよく言っていた言葉があります。
「人生はそう簡単に思い通りにはいかない。何事も我慢が大事。」
この言葉は、今でも私の心の中に強く残っています。 壁にぶつかって悩んでいた時、この言葉を思い出しました。そして、自分の基本の土台はしっかり維持しつつ、物事の見方だけを少し変えてみることにしました。 その結果、次のような考えにたどり着きました。
「本番までにやるべきことは、当たり前のようにしっかりやる。その上で、本番は運を天に任せよう。」
一見、適当に聞こえるかもしれませんが、真剣に取り組むことは大前提として、自分には余裕を持つことや、程良い遊び心が必要だと感じています。この考え方を取り入れることで、少しずつ心に余裕が生まれ、目の前に通過点となるゴールがいくつか見えるようになった気がします。そして、そのゴールが見えるようになると、不思議なことに、自分がやるべきことに自然と身体が動くようになりました。 私にとって大切なのは、本番までの過程を大事にし、悔いのないよう最善の準備をすること。そして、一歩一歩着実に登り続けることです。その上で、本番は「運を天に任せる」。 これが私のルーティンであり、この考え方が今も私を奮い立たせる活力の源となっています。
今後の目標 常にビジョンを持つ
選手兼指導者として活動を始めて約5年が経ちますが、私の最終目標は指導者としての道を極めることです。野球は常に進化を続ける競技であり、その流れに遅れを取らないよう、選手としても指導者としてもスキルアップを図ることが重要です。そのためには、常に自分をアップデートし、限られた時間を有効に活用しながら下積み期間を充実させたいと考えています。野球を「分かった気になる」ことが終わりの始まりだと思うので、気を緩めることなく、堅忍不抜の精神で精進していきます。
また、日本では野球は非常に身近なスポーツですが、その楽しさや魅力をさらに多くの人々に伝えたいという思いがあります。誰でも楽しめる競技としての野球を広めるとともに、次世代の育成にも力を入れていきたいと考えています。 さらに、パラアスリートとしてはまだ未熟ではありますが、MODECの一員として、共に目指すビジョンを形にしていきたいと思っています。当社に貢献しつつ、野球というスポーツを通じて新たな価値を生み出していくことが私の使命だと感じています。